2008年7月11日 (金)

チェコへ

9日の14時発のフィンエアーで関空発。燃油代高騰で海外旅行者今年は少なめ、といわれていたが、逆に詰め込まれて機内ほぼ満席。経済的で適当なフィンエアーらしく、食事も簡単はずれなし。凝ったもの作ってまずいより全然よし。映画上映も適当。10時間半でヘルシンキ到着。やはりセキュリティはきびしくて、乗り継ぎ時間50分のうち、ここで30分消費。ヘルシンキからプラハ行きの搭乗口にいくと、なんか見た顔がいる。と思ったらフィンランドチームご一行様だった。この時間からいけるなんて近い国はいいねえ。

プラハ空港には予定より少し遅れて2時間半で到着。現地時間は20時15分。オロモウツ行きの急行はプラハ本駅発21時24分だが、まにあうか?

乗客のうちでも自分とフィンチームが真っ先に荷物受取口のきわきわを陣取る。行動パターンが一緒だよ・・・しかしなかなか出てこない。時計をにらんで計算しまくる。幸運にも一番最初に転がり出たのは自分の荷物で、つかんでバス停にダッシュ。1分後に100番のエアポートエクスプレスバスが来てこれもラッキー。地下鉄のデヴィッカー駅とホレショビツェ駅しか止まらないので30分ぐらいでプラハ市内へ着く。

ホレショビツェ駅に着いたのは21時10分。ここからまた地下鉄で3つ先の本駅までいかないといけない。地下鉄のホームまでは改札からすぐで助かった。10秒後に行きたい方向の地下鉄も来た。1駅1分とカウントして5分?15分までに着けば9分の余裕。で6分で本駅前についてまたダッシュで階段上がる。案内板を見ると乗りたい電車は7番線ホームらしい。一番奥だよ~あと7分切った~続けてダッシュするが、遠い。ホームへ上がる階段を登ると、もう電車は止まってた。車掌さんに確認してから2等車に乗り込みコンパートメントに荷物放り込み、一息。間に合った~。列車は1分後に発車したのだった。

落ち着いて、水分一切もってないことに気がついた。

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2008年6月19日 (木)

いきてる水車

Pa0_0036 最近、通勤途中の田んぼ道で見られるのがこの水車。田植えの後の一時しかお目見えしない。水路から田んぼに水をくみ上げるという、シンプルかつ本来の目的を立派に果たしているバリバリ現役の水車である。鉄枠に木の板で作られていて、それぞれの板端に付けた粉ミルク缶が水をかい出すという、実用一点張りの造作。そのため取り付け取り外しも簡単そうだ。とある場所では等間隔にずらっとならんで回っている。水車なんて観光用しか見たことない人も多いだろうけど、この水車、あんなに立派なものでないところがなかなかにかっこいい。

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2008年6月 9日 (月)

わかやま電鉄のりました

かんさいパークOで和歌山へ。JRからわかやま電鉄に乗り換えたら、ちょうどおもちゃ電車だった。内装が木造でおしゃれ。つり革も積み木みたい。壁の一部分をガチャポンで占拠してあるのにはびっくりした。Pa0_0035

レース後に伊太祁曽駅から乗ったのはいちご電車。1日でふたつとも制覇できてラッキーだった。Pa0_0032

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2008年5月 7日 (水)

そうだ京都いこう

連休終盤は膝の痛みも考えて1日休養。部屋をかたづけていたがあまりはかどらず。最終日は京都へ。なんだか突然“仏”が見たくなったというか、寺の本堂みたいなでっかい空間に身を置きたいという欲求。電車内でメールしたら友人がひっかかった。偶然にも1人でぶらっとするつもりだったらしい。なんてラッキー。合流して三条から四条かいわいを2人でぶらぶらする。それでも仏がみたい自分は、一番手近な六波羅蜜寺へいこうと提案。しかしその途中トイレに行きたくなり、ちょうど建仁寺の境内だったのでそこにとびこんだ。学生時代もよくつっきっていたが、建物に入るのは初めて。参観者は多かったがだだ混みでもなかった。

ここにあるのは国宝の風神雷神図屏風。この寺所有とは初めて知った。とはいえ複製展示なのでちょっと見ただけで素通りする。あとは法堂の天井画。2002年制作なのでかなり新しいが、水墨画の巨大な双龍図を、床に座り込んで首が痛くなるまで眺めて、でっかい空間に身を置きたい欲求はかなり満たされた。枯山水庭園もひろくて開放的。鴬張りの廊下をきゅるきゅる歩いて楽しむ。

後はまた

河原町

に戻って、ぶらぶら散策しつつ三条まで歩き、そこで友人と別れた。やっと休日らしい休日だった。

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2008年5月 5日 (月)

根の上高原つつじまつり大会

連休後半のメインは4日のつつじまつり大会。根の上高原は、調べてみたら実に6年ぶりだった。毎年開催しているだけに敬遠しがちだったのかもしれん。

ということでこの山が微地形かつ藪かつ足元ちょー悪い!ということをすっかり忘れていて、80分近くもがっつり楽しんでしまった。なにより潅木の伐採が、ちょうどすねの高さで切り口を尖らして切っているので、疲れてうっかりよろめいたりとかするとめちゃめちゃ危険。そんなところも気をぬけない山だった。

それ以外では天候も快適だしつつじは満開だったし、地元の方のアンティークなカフェ出店でなごめたし、なかなか楽しかった。

にしても連休といって連日動きすぎたか、登りのときに左ひざに軽く痛み。ぼちぼち整体いかんと。

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2008年5月 3日 (土)

伊賀焼き祭へ

連休後半、3日は丸柱までサイクリング。当日は伊賀焼祭とかで、毎年人気らしい。伊賀上野から直登で諏訪越えコース、やはりだらだらときつかった。とはいえ先日の御斎峠越えよりはかなりましだった。2時間弱でたどりつくと、ちいさな集落の田舎道は大渋滞。バイクはゆるゆるとその脇をすりぬけて駐車場へ。別に買い物するつもりはなかったので、バイクが正解。駐車場からの坂道にそって出店のテントが並んでいる。そしてほんとにお祭りみたいな人出。一番有名な長谷園は、予想以上にいい感じで、明治建築を改装した喫茶室や現存の登り窯、母屋を開放した日本庭園のみえるお茶席なども年代を経た風情が本物。たしかにこれは客も来るわと納得。工場生産の市販品から作家さんの作品、便乗?のガラスや銅製食器の作家さんまで出店をつらねて大にぎわい。最近の流行なのか、パステルカラーの釉のものが目をひいた。ひやかしているうちについほしくなってしまう。いくら安くても土鍋をいくつも持って帰れないよ。夏の京都の清水焼市も相当にぎわうけど、日本人はやはり陶器類が好きなんだろうか。

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初夏の曽爾高原

連休前半の初日はバイクで遠乗り。家から太郎生経由で曽爾高原へ行ってみた。3桁国道に新しくできたトンネルをさけて比奈知ダムの西岸道路をたどる。八重桜の並木道になっていて、車もなくてかなり快適。ダムの先は昔からの道になって、細くなったり広くなったりを繰り返し、基本的にはだらだらとした登り。道沿いの川にはところどころ流れ橋がかかっている。周囲にそそりたつ山肌は、新緑と山桜でとてもきれいなパステルカラーだった。

2時間ばかりで太郎生に着き、そこから東海自然歩道にそって西へ急登、池の平まで一気登り。バイクでぎりぎりまでひっぱったが、最後は登山道が石畳と木段連続になったのでデポして足で登る。曽爾へ行くにはこっちは裏道なので、他の登山者はほとんど誰もいなかった。

針葉樹の斜面を30分ほどジグザグ登ると、いきなり明るくなって峠に出る。ススキで有名な草原だが、今の時期は草丈も低くて芝生状態。南と東の斜面がきりたっているので、夏のスキー場みたいな感じ。直滑降するとしたらかなりの上級コースだわ。

ここは地元小学生のキャンプ定番地で、子供のころは年に1回は来ていたはず。そういや何年ぶり?眼下にみえる少年自然の家も、あんなに立派だったっけ?しばし感慨にふけってから、もと来た道を帰る。001 002 

帰りはまたつぐみカフェによってしまった。最近隣に雑貨店もできたが、がさつに入ると物を壊しそう・・・

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2008年4月21日 (月)

ロッキーマウンテンで初乗り

新しくなったMTBで初乗り。りかちゃんつてで譲ってもらったフレームに、もとからの自分の部品を移してもらったのだ。(あじゃりの皆さんありがとう!)サイズがちょうど自分にあってたみたいでハンドルさばきが楽。最初はリアディレーラーの調整でちょっとがちゃがちゃしたが、走っているうちになんとか落ち着いた。翌日がハーフマラソンなので負荷は軽めに、とおもっていたのだがつい遠乗りしてしまい、太もも筋肉痛・・・やばいなあ。

2時間半ほど市内(ほとんど田んぼ道)をぐるぐるして、最後は近所の葡萄畑のちかくにあるお気に入りの喫茶店によっておやつ。玄関がきれいなので記念撮影してみた。

002

そのうちバイク通勤するかな~。

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2008年3月20日 (木)

春の御在所岳

平日に、久しぶりに四日市へ。用事がすんで開放されたのは1時半。せっかく来てそのまま帰るにはあまりに天気がいい。行きしなに高速から見えた御在所岳に登るか、と思い立った。まだかなり白い雪が見えたが、きっといけるやろ、だめなら引き返すだけやし、と思って蒼滝駐車場までいく。車が一台止まっていた。平日でもやはり登山者はいるようだ。

とはいえこの日は化繊のスラックスにランニングシューズ、ユニクロダウンジャケットに手袋のみの、ものすごい軽装。しかも選択したのは裏道。稜線までずっと沢道なので一番雪が残っている可能性大、だったが、予想通り日向小屋からの道は真っ白。それでもかなり踏み固められていて、往来の多さがわかる。今日ついたばかりのような足跡も数人分あった。藤内小屋までは行こう、とおもいすべりやすい道を注意して登る。

藤内小屋には2時20分着。まだかなり日が高かったのと、ここまで来る道の状態から、下るほうが危険に感じた、のでさらに登ることにした。登ってしまえばロープウェイがあるし。

ところがここから雪の量が急に増え、しかも急斜面が続出、3歩に1歩は不意にすべるというような道のりになった。左方は急な沢なので、落ちるとマジ危険。登るにつれて傾斜も急になり、さらに日当たりがよくなると、半分解けてきた雪はもろくてひざまでずぼずぼうまる。途中で下ってくる登山者数名に会ったが、かなりの完全装備だった。それでは大変でしょう、といわれたが、本人もそのとおりやと思っている・・・最後の道のりは踏み出すたびに落とし穴状態だったが、何とか稜線に出た。ちょうど3時。尾根の向こうからスキー場のリフトの回る音が響いてきた。

稜線からは傾斜もゆるくなり、すべったとしても沢底まで落ちる危険はなくなった。10分すこしで山頂の遊歩道に出る。ちょっと命の危険まで感じながら登ったのがうそみたいな、整備された山頂。晴れた空に人気のないスキー場の雪景色はなかなかきれいだった。016 015

汗が冷えてきたので下山。90分で登った山をロープウェイは15分で下る。他に客はおらず貸切状態。真下を見てたらなかなかスリリングだった。すぐ横の中道はほとんど雪がない。やはりこちらをとおればよかったか・・・と思っているうちに下に到着。3時半には帰路についた。

春山初体験、ということになるのかな?教訓としては、雪をなめてはいかん、だった。

といっても、お手軽かつ本格的登山ができる、という点で御在所岳は好きだな。

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2008年2月27日 (水)

とれとれ榊原

1月半ばの日曜日、榊原温泉でとれとれがあったので参加した。強引にイベントにでもいかないとMTBに乗る機会がなかなかつくれない。

天気は午後から雨の予報、朝からそれらしげな曇り空で寒かった。山シャツ2枚も着込んでジャージも着る。下はタイツに夏用ジャージ。転倒時の外傷防止のために相当着ぶくれた。

使用地図は市販の国土地理院25千。この地図の読み加減は以前の経験から、かなりおおまかに読む、ラフコンパスで進む、というOLとはかなり勝手が違うことを考慮すれば問題なかった。ハンドコンパスも今回デビューとなったが結構使い勝手よし。

パワー不足に技術、練習不足なので、スタート時点からおいてかれて前半は1人旅。四季の里をぬけたあたりから何人かに追いつき、なんとか先にゴールした人々がまだ歓談しているうちにたどりつけた。枯葉でふかふかのシングルトラックをつないだコースはかなり面白かった。思いがけず高順位で、長谷園の伊賀焼をもらってしまう。地元民でも手が出せん高級品だわ。

レース後は会場の榊原グランドホテルのお風呂へ。525円だがタオル、石鹸、シャンプーなし。「ナイヤガラ風呂」が自慢らしい。館内はひろすぎて、往年の繁栄がしのばれるような派手で豪華な内装が、電気も点けていない暗い廊下のかげに裏寂れていた。

しかしさすがの大浴場、たしかに広い、めっちゃ湯気が濃い。視界10cm?!先が見えないせいでさらに広く感じる。正面に大きな浴槽がぼんやり見えたが、ナイヤガラ風呂って?奥から激しい水音がするのでそちらへ行ってみる。すると濃霧の奥から、茶色い花崗岩の岩壁がぼんやり現れた。所々から湯が流れ落ちていて、足下にたまっているので、これがそうか、と判断した。湯量が一定ではないのでどばっどばっ、という感じで落ちてくる。アマゾンの奥地を探検中に、熱帯雨林の霧の中からインカ帝国の遺跡が現れたみたいだ。「ナイヤガラ」ではなくて「インディ・ジョーンズ」風呂といったほうが似合うかもしれん。

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2008年2月25日 (月)

ぎりぎりセーフ?

あけて12月29日、キリマンジャロ登って下りるだけのアフリカ旅行はとうとう最終日。朝7時半にナマンガ行きの相乗りバスに乗り、めっちゃ順調にぶっ飛ばして10時に国境着。行きのときみたいに混んでもなくて、あっさり出入国。しかし、タンザニア側が順調すぎてか、ケニア側で乗り継ぐはずのバスが来ていない。2時間ほど待って、12時ごろにやっと来た。これぐらい待たされて普通だろう、とやっと旅行気分になった。なんかおかしい。

2007kilimanjaro_2_191 ←夏の富士山そっくりのメルー山

 

乗り継いだバスのドライバーは、恰幅のいい、ちょっと太ったモーガン・フリーマンみたいなおじいさんだった。温和な感じで、おくれてごめんね~とがははと笑ってくれる。しかし、ハンドルを握るとやはりアフリカンドライバーで、時速100kmぐらいで居眠り運転するし、かといって500m先に先行車を見るともうすでに追い越し車線にはいってるし(でも2車線しかないんです・・・)先行車も追い抜かれまいとスピードアップして意味のないカーチェイスが繰り広げられたり、その先に牛の群れが道をふさいでいたりするのだった。あまりに面白いのでかってに実況中継していたら、気分は「水曜どうでしょう」みたいだった。

乗ってしまえばバスは順調で、3時にケニア国際空港に到着。即刻手続きして出国する。とはいえ飛行機は5時半発。コーヒーショップで時間つぶし。トールサイズ1杯で140シリングほど。後日友人から聞いたところ、お昼外食しても30で足りる国で140は高すぎ、らしい。

ドバイまで5時間、またドバイで乗り継ぎ待ちして夜中2時50分に関空行きに搭乗、大阪に着いたのは翌30日の夕方5時だった。こうなると眠いも通り越してかえって変に元気だった。年末の大阪はさすがに冬の寒さ。そして帰宅してからニュースでケニア大統領選挙で暴動、と知ったのだった。ケニア国境でバスを待っていたとき、横でひまそうな役人が、候補者の写真の載った新聞を読んでいたが、あれはまだ結果が出ていない状況だったらしい。(さすがにスワヒリ語はわからん)自分が出国した後で空港行きの道路が暴動で封鎖されたりしたみたいだったので、実はほんとにぎりぎりセーフだったようだ。なんにせよ、その場で状況がつかめない、知りえないというのはほんとに恐ろしいと思う。しかもそういう状況は紙一重の差で遭遇したりしなかったりする。どこか行くたびに気をつけるようにしているのは、自分のアンテナをしっかり張って、いつでも周囲の状況を把握しておこうということだ。英語がどうとかいう問題よりも前に重要だと思う。(そら当然英語ぐらい、最低限聞き分けられるのが一番いいけど)

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2008年2月21日 (木)

ビールで乾杯

 アルーシャへ戻る車は、ホテル前の坂道をがんがん下る。5%はありそうな傾斜だ。そのうち着飾った人々がぞろぞろ歩いていたりするのを見るようになった。降りていく道沿いに教会があり、結婚式が何組もあるらしい。バンドを屋根に乗せた車もいるし、何より花嫁が、取り巻き連中と一緒に白いドレスで道路脇をてくてく歩いていたりする。道の左側が特に騒がしくなったと思ったら教会で、広い敷地はものすごい人出!車も渋滞をおこしかけている。いったい何組挙げるねん?とはいえあっという間に教会を通り過ぎ、車は下の集落についた。ここがマラングの集落という。商店が建ち並んで、かなりの人で賑わっている。ちょっとネパールの街道沿いみたいな感じがする。道の分岐でガイドたち2人を下ろす。彼らは上機嫌で、また来てね~と言ってくれた。こちらも礼を言って別れた。(2回来るかはかなり疑問だなああ)

まだまだしばらく坂道は続き、ヒモの町までおりて幹線道路にぶつかった。交差点を西へ、あとはひたすらまっすぐ進めばアルーシャ。2時間半ぐらいかかる。ドライバーのにいちゃんがカーラジオを点けた。大音量で流れ始めたラジオは、DJ5分に1回「ジャンボ!サッサ!タア~ンザニアロックヒッツベストテ~ン!」と叫び、ペプシとコカコーラのCMがじゃかじゃか流れ、全然タンザニアの最新ロックヒッツの曲目はわからないのだった。

そんな調子で走り続けてサバンナを越え、メルー山が見え、コーヒー農園や田んぼを通り過ぎ、アルーシャの市街地に入った。中心街を突き抜けて、行きに昼食を取ったインパラホテルへ到着。今日の宿はここだが、今回の旅の中で一番グレードの高いホテルらしい。1階のフロントは高級木材を使ったインテリア、玄関から奥のプール付き庭園まで吹き抜け。柱のようなマコンデ彫刻がそこここに置かれているし、椰子やら芋やらわさわさ生い茂っている。玄関前ロータリーに真っ黒ぴかぴかのハリアーが停めてあった。これも飾りか?部屋はひろくて立派だったが、ホテルの裏側を向いていて、狭い窓から西日がさしていた。非常階段にはめちゃ近い。窓を開けると、ほんとに裏窓の風景で、建て込んだビル群の屋上が見渡せる。これはこれで面白い。どこか近くから音楽がきこえてくるが、ここまで響くというのはかなりの大音量だ。

実に6日ぶりにシャワーを浴びる。登山で一番つらいのはこれだな。薄暗いバスルームではどこまで洗えたかよくわからんが、とにかくさっぱり~。

夕食は料金についていて、コンチネンタル、イタリアン、中華、インドと4つあるレストランを選んで食べ放題だとか。一番豪華なシチュエーションだったイタリアンにする。プールのある庭に面した半分がベランダ席。プールサイドにカウンターがあり、庭全体がホテルバーという形になっている。

登頂を祝って祝杯。タンザニアにはキリマンジャロビールという銘柄があるのだ。昔はドイツの植民地だったということもあり、そのせいかほんまにうまかった。

たのんだスパゲティはかなりのボリューム。京都の「マダン」並じゃ~?。味は結構おいしかった。というか日本で食べてるのと変わりなかった。これって結構すごいことかもしれん。

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2008年2月18日 (月)

下山(ホロンボハット~マラングゲート:6日目)

28日の朝、快晴。下界は雲海。740分にホロンボハットを出る。基本的に来た道をもどるだけ。尾根の上でキボ峰に最後の一瞥、あとはだらだら道をどんどん下る。沢を7本越えると休憩ポイントの尾根。一気に下って、ポッドキャプスの丘をまき、森林地帯へ近づいていく。足の速いポーターたちは頻繁に行き来していて、今日も登山客は多い。車いすを運んでくるポーターを見て、?と思っていたら、手動の4輪車で登ってくる欧米人のおっさんに出くわした。かなり恰幅のいい人でめちゃくちゃ元気そう。4輪車は道幅いっぱい占領しているし、周囲は人だかりでいやでも目立つ。ポーターも人より倍は必要だろう。まあこの道ならキボハットまでは確実に登れるもんな。

2007kilimanjaro_2_167 そのうち木立が現れ、森林限界とはおわかれ。マウェンジ峰も見えなくなり、マウンディクレーター横の湿原をまいて、マンダラハットには10時20分頃についた。

サブガイドがやたら急がせるので、5分休憩しただけですぐ出発する。森林地帯のジグザグとした道を下っていく。ポーター道との分岐までで約50分、その後は傾斜がほとんどない熱帯林の中を歩いていく。初日にお昼を食べた休憩場所の橋で、日本人のおじさん1名にあう。どうでしたか、と聞かれて情報交換タイム。いままでサブガイド同士はしょっちゅうこんなことをして立ち止まっていたが、今度はこっちの番だ。その後若いカップル1組ともすれ違った。頭に手ぬぐい巻いてると日本人だなあとすぐわかる。農道を横切るところまでくると、韓国人の団体に会った。この団体さん、個々のバックパックにハングルの書かれた赤色の布製ゼッケンみたいなものをでかでかと着けているのでとってもわかりやすかった。(ちょっとださださ)

大きな滝壺を左にみて橋を渡り、民家もちらほら見えてきた頃、がきんちょどもがわいわいお出迎えしてくれた。タンザニアの小旗やカメレオンを手に、「フォトフォト!」とかいって小遣いをねだってくる。適当にあしらって、そこから5分でマラングゲートについた。12時38分。登りは2日かかった行程を4時間半強で降りてきた。まずは無事に登山終了だ。

 入山手続きをした窓口で、今度は下山報告をする。また電話帳みたいな分厚いノートにサインする。ここまで降りてくると、やっぱり初夏の空気。季節感が狂うわ。手続き終了すると、途中で下山してしまったガイドが来ていて、登頂おめでとう、とか言ってくれた。そっちの事情を聞くと娘が腕の骨を折る大怪我をしたとかで、入院先のモシの病院から来たという。それは大変やわ。ということで途中で帰ったのもしゃーないか。

ゲートの広場は、これから登り始める登山客と、準備中のガイドやポーターたちで賑わっている。行きとはえらい違いだ。今がハイシーズン開始、といったところか。ここでも日本人グループを見かけた。とはいえ全体でも数えるほどしか見当たらなかった。やはりここまでくるのはそれなりの準備をしてくる人々だけなんだろう。

ポーターが運んでくれた荷物をひろい、すでに待機中の車に乗り込む。これもツアーで予約済みの車で、ドライバーはアルーシャから来た都会風のこざっぱりした若者。まずは下のホテルまでいく。今日これからの日程はそのホテルで昼食、その後アルーシャまで移動して1泊。ホテルのトイレで、久々の水洗式に感動してしまう。石鹸で手を洗ったら黒い泡がいっぱいたった。ロビーの応接セットで、ガイドが登頂証明書の紙にサインして渡してくれた。A3サイズの表彰状みたいな体裁をしている。ウフルピークまで行けたら金縁、ギルマンズポイントまでなら青縁らしい。実際にいっしょに登った(登頂証明できる)のはサブガイドなんだが、サインできるのは資格持ちのガイドだけなんだろう。

重要なのはここからで、それぞれにチップをわたさねばならない。最初は7人と言われていたのだが、ここにいるのはガイド、サブガイドとポーター2名の4名だけ。もう一人のポーターとコックは?と聞くが、事情があってこの場にいないという。ポーターだって最初に顔をあわしていないので本人か?とも思えてしまう。チップはグループで出しあってすでに小分けにしてあったので7人分全部渡したが、本当のところはちょっと疑問だ。とかいっても渡してしまったらもうしゃーないな~・・・・・

その後はレストランで貸し切りランチタイム。来るたび自分たちしかいないこのホテルは儲かっているのだろうか?

 昼食後、外に出ると日本人男性が1名、付き添いと降りてきた。ホロンボで出会った団体の脱落者らしい。3700mで高山病がひどくなって下山してきたそうだ。残念そうにしていた彼は、他のメンバーが下山してくるまでここでずっと待っていなくてはいけない。このホテル、そういう人のためにもあるのか・・・

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2008年2月15日 (金)

下山(キボハット~ホロンボハット:5日目)

キボハットに帰り着いて、すぐ着替えるが寒い。アミノバイタル粉(青)をホットのスポドリで流し込む。ちょーまずいが薬みたいなもんだ。軽く食事をとるが全然体が温まらない。外へ出て日光にあたるが、空気は冷たいので結局プラマイゼロか?それでもしばらく休むとちょっとはましになった。10時前に荷物をまとめ、キボハットから下山。この日はまたホロンボハットまでおりてそこで泊。

 砂漠の中の道をゆっくり歩いていると、疲れているけど登頂できた達成感でなかなか気持ちいい。グループの中に日本人のおじさんがいて、相当うれしかったのかやたらにハイになっていた。あとはもう杖付いて歩いてるだけでいいし、気分は水戸黄門だとか。ほな他の人々は(自分も含めて)かくさんすけさんその他ご一行、悪代官はサブガイドを殴ったキボハットの小屋番か?タンザニアまで諸国漫遊するとは思わんかったな・・・しかしご隠居、キリマンジャロとはまあひろびろとしたところですなあ~

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来た道をそのまま戻るだけだが、レッドヒルの手前から天気雨になり、サドルを回り込んだ頃には横殴りの雨になった。さすがに疲れているのできつかった。ずんずん下って2時間半でホロンボハット着。まだ12時半だ。ここはもうすっかりおなじみ、という感じだが、この日は本格的な年末休暇シーズンに入ったせいで客が増え、山小屋はフル稼働。相部屋にぎゅうづめになった。日本人もたくさんみかけるようになった。団体さんが登ってきたらしい。夕食まで寝て体力回復。睡眠は万病に効くかも、と実感。

食堂もぎゅうぎゅうで、始終ぎしぎしどたばた。食事時は登山客と給仕人とが入り乱れて大変な状態になった。日本人団体のツアコンがいちいち声を張り上げて説明している。言葉がわかるせいもあるのか、会話が耳についてやたらうるさい。半数以上が中高年女性のようだ。

 夕食がすんで外に出ると、ちょうど夕暮れ。かなり見慣れてしまったキボ峰だが、さっきまであのへんにいたのか?と思うと不思議だ。下界を見ると相当の数の灯が輝いている。ちょっとびっくりするぐらい都会的な夜景だった。きけばあのへんはモシの町だという。寒いので小屋にかえってまたすぐ寝る。明日で登山は終了だ。

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2008年2月13日 (水)

下山(ウフルピークからキボハット:5日目)

下りはじめてしばらくすると、正面の東の空が明るくなってきた。雲海の上の方が朱く染められていく。だんだんと周囲の輪郭がはっきりしてきた。この、日が昇る前の短い時間帯がいちばん好きだ。パウダースノーの稜線をさくさく下っていくとうそみたいに体調が楽になるのが不思議。しばらくライトを点けて歩いていたが、そのうち不要なぐらい周囲が明るくなってきた。ライトを消し、ちょうど南側斜面の氷河がほんのり朱く朝焼けを映し出したので写真休憩。火口側のディティールもよくわかるようになってきた。広大で壮大で、思わずほーっと息を吐くほど美しい。頭痛がしなければもっと余裕で鑑賞できるのにもったいない。

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そして雲海のラインから、朝日が昇ってきた。これから山頂を目指す登山者と数多くすれ違い始める。いままでなら向こうから声をかけてくるところが、誰も皆押黙って下を向いて歩いてくる。ほとんどが高山病の頭痛だろう。

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山頂から48分でギルマンズポイントまで戻ると、すでに直射日光が厳しくなっていた。人が多かったのですぐ下り始めるが、やはりかなりの急勾配だった。岩場をすぎると砂走りになったが、こういうところは登るよりも下るほうがむずかしい。スキー場の上級コースみたいな傾斜だ。雪ではなくて砂のゲレンデだが。

途中落石があり、上からサッカーボールほどの石が転がってきた。あわてて避けたが、ガイドたちはそれを追いかけるようにして、両足キャッチ。落石と同時に2人とも躊躇なく動き出したので、そうするように厳しく決まっているのだろう。まるでサッカーの技を見るように鮮やかなものだった。しばらくはていねいに道をジグザグ下っていたガイドたちだが、いきなり真っ直ぐ降りだした。見ればどこを通るのも好き勝手なのか砂の上に何本もラインが付いている。まねしてそっちをたどってみる。たしかに速いし砂が柔らかいので膝への負担も少ない。一気にスピードアップする。途中で一回すべって尻餅ついた。ついでに写真も撮る。まだ眼下に見えるマウェンジ峰。足下を雲が流れていく。日差しがきつくて、コントラストがはっきりしているので印象がちがう。1時間ぐらいかかって、岩の陰についたときには膝かっくん寸前。大体ここで5000m地点だという。やっと日焼け止めを塗る。すでに遅し、かなり焼けてしまった。高地の日差しをなめてはいかんかった。

ガイドたちはのんびり休んでいるが、眼下にキボの小屋の屋根も見えるし、後はマイペースで、ということで一人で先に行く。ここで5000m、ということはあと300m下れば小屋だ。目側では近いように思えたが、下っても下っても近づかない。後ろからサブガイドが追いついてきた。ぽつぽつしゃべりながら一緒にあるく。

休んだ岩からキボハットまでは結局2回ほど沢を乗り換えて降りていく。約40分でキボハットへ到着。日差しのせいもあってお昼かと一瞬思ったが、時計を見ると7時半だ。めっちゃ朝やん・・・。登頂には6時間かかったが、下りは2時間30分だった。

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2008年2月 7日 (木)

山頂アタックその2(ギルマンズポイント~ウフルピーク)

ギルマンズポイントから、火口をのぞき込む。今立っている地点は横幅のない細い岩稜で、すぐ足下から真直ぐに崖が切れ落ちている。月明かりに照らされた広大な雪原が眼下に拡がっているが、それが火口部だ。月のせいで闇は薄墨色、雪は見つめるともやもやと奥暗いような、不思議な銀鼠色に輝いている。火口の周縁はここから見て正面と右手が崩れてしまっていて、きれいな円形を描いてはいない。正面の、その崩れた向こうに星が見える。右手は白っぽい崖のピーク、これは氷河だろう。左手は長い岩稜があり、月明かりに真っ黒な影になっていた。どうもそちらがウフルピークらしい。すでに誰かいるのか、ピークに灯りが見える?目をこらすと、山頂の稜線ぎりぎりに星がかかっているのだった。

ギルマンズポイントの南側に大きな岩があるのだが、ガイドはそれにむかって右手、火口側へ回り込んでいく。落ちるよ?と思ったが、岩崖の下を縫うように道がついているのだった。火口側の斜面を小刻みにアップダウンしながらウフルピークへ向かって続いている。さっきまでの激斜面一気登りに比べてずっと平坦だが、道幅5番ぐらいで右手はすぐ雪の急斜面、滑って踏み外したら火口まで一気に落ちるだろう。これを20分ほどたどると、道は尾根上に出た。視界が開けて火口の外側が見える。やや左斜めに大きな白い崖が見えるが、あれ氷河?道は広くなった尾根の上をだらだらと登っていく様になった。傾斜はとてもゆるいのに、ますます息は苦しくなっていく。もう100mダッシュ状態の過呼吸で、でもめちゃめちゃゆっくり、一定のリズムは崩さないように歩く。ウフルピークの手前に1つピークがあって、がんばって登ったのにまだ先にピークを見てがっかり。すでに到着したグループのライトが動いているのが見える。目測20分はあるな~・・・この最後のアップダウンでいきなり高山病が進行したのか、まるで頭と肺だけが風邪をひいたみたいになってきた。

山頂付近までくると、尾根はだだっぴろくなり、端の方にぽつんと大きな看板が立っている。あれが三角点だ。このへんは岩がごろごろしてきてかなり歩きにくいが、とにかくペースをあげて看板にタッチ。キリマンジャロの最高峰ウフルピーク、5985m。やっと到着~。結構いっぱいっぱいだ。ギルマンズポイントから1時間24分かかっていた。時刻は27日の5j時45分。周囲はまだ暗く、日の出まではしばらくあるが、とにかくやたらしんどくていてもたってもいられないので写真撮ったら即下山開始。登頂の余韻を楽しむ、ような暇もない。1秒でもこんなところにいたくない、とおもった山頂は初めてだ。2007kilimanjaro_2_128_2

 ←お疲れ様のサブガイドくんと記念撮影。

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2008年2月 6日 (水)

山頂アタックその1(4日目~5日目)

キボハットの山小屋から外へ出ると、確かに地面は粉砂糖をまいたように白くなっていた。しかしその程度で積もってはいない。山小屋付近が雲に覆われていたので、周囲は暗く、凍った水蒸気がはらはらと体にあたる。しかし上空は晴れているようだ。26日23時38分、他の登山者に先駆けてアタック開始。今までと違い、先頭のサブガイドについていく形だ。昼に下見した沢道を、かなりゆっくりと登っていく。着込んだせいで動き出すとすぐ汗をかいたが、ペースがゆっくり過ぎるので慣れると冷えてきた。本気でやばい、と今回はじめて感じ、グループに待ったをかけてタートルマフラーと靴用カイロを装着。マフラーでずいぶん暖かくなった。やはり首の保温は重要ポイントだ。40分も登った頃、大きな岩の下につき、ここで少し休憩。岩から道は右へ巻いて沢を乗りかえる。沢は砂地でざらざらとして、やわらかくで崩れやすい感じになってきた。登山道はその沢の中をジグザグにつづら折れになっている。直登している道もあるが、サブガイドはわかっていてそちらを通りはしないようだ。足元を安定させるのが難しいが、一呼吸で1歩、のリズムでゆっくり歩く。そのうち雲が晴れてきた。見上げると、ほとんど真上に稜線の縁が見え、その真っ黒な輪郭にオリオン座が半分隠れていた。まるであの星に向かって登っているようだ。下を見ると、かすかに小屋の明かりが見え、そしてそれより近くに動いているライトも見える。後発の登山者だ。後ろからのライトはどんどん差をつめてきて、2時間ばかりして自分たちを追い抜いていった。ドイツ人の3人組男性グループだ。そりゃ強いわ。

暗闇の中、富士山8合目みたいな登り。単調で、筋肉的にはほとんど疲れないのだが、始終頭痛を感じながらではなかなつらい。公称では5時間これが続くのだというから、忍耐あるのみ。時々上を見あげるが、全然近くなったような気がしないし、時計見てもまだ2時間半しかたってない。そうとわかってかなりがっかりした。いや、もう5分の2以上もきたぞ、と自分を励ます。みな最初のほうは会話もしていたが、だんだん寡黙になり、黙々となり、ひたすらゆっくり足を踏み出すのみ。なんだか視界がかすんできた。また雲でもかかってきたのかとおもうがそうでもない。そのうち足元がよろける回数が増えてきた。これはなんか変だ。そしていきなりかるい吐き気。頭痛はなんとか我慢できるが、吐き気はちょっと耐えられん感じだ。やはり高山病の症状か。身体の基本は呼吸だよな、と思い出し、大きくゆっくり呼吸してみる。すると吐き気は消えた。やはり酸欠だったか。しばらく大きくゆっくり呼吸する。するとうそみたいに頭もはっきりして足元もふらつかなくなった。人間飲まず食わずでもしばらく我慢できるが、呼吸しなかったら数分で死ぬもんな。呼吸って偉大だ。

しばらくはそれで持っていたが、そのうち間に合わなくなってきた。大きくゆっくり、から速くはげしく、に呼吸を変えてみる。動きはゆっくり、でも呼吸はマラソン最中みたいに。するとまたかなり楽になり、頭痛まで軽くなった。ということでその後はわざとはげしくゼハゼハ呼吸で通していくことにした。これでかなり快調。

4時間を過ぎた頃、道が砂地から岩がちになり、傾斜がゆるくなってきた。こうなるともう火口は近いのではないかな、と思っていたらそのとおりで、まず上のほうから先行の人々の声が聞こえ、ライトがちらちらしているのが見えた。そのまましばらく岩場の道をじぐざぐ登っていくと、前触れも無く壁のような斜面がなくなり、いきなり火口の縁だった。ライトの先に「ギルマンズポイント」と黄色いペンキで書かれた看板。あれ着いたか。といった感じだった。キボハットを出てからちょうど4時間半で到着したことになる。公称タイムより速いやん。

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2008年2月 4日 (月)

キボハットにて(ごたごた)

キボハットにて宿泊手続き。ところが予約が通ってなかったといわれ、ベッドをなかなかあてがわれない。とうとう出た旅のトラブル!いままでスムーズすぎたのがぶきみやっちゅうねん。とにかく金は払ってるもんね。と強引に要求して待つことに。ここは宿泊棟は1つだけ、3つある部屋はすべて大部屋である。とにかくお茶とおやつは出てきた。先についていたドイツ人たちも食卓についていたが、どうも皆頭痛やら吐き気やらで体調が悪そうだ。1人のガイドが「みんな頭痛してるから大丈夫!」なんていうので皆笑っていた。

 結局2回もベッドが変わってなかなか落ち着けなかった。自分たちのガイドが昨日の時点で家族の急用で下山してしまっていて、ついてきてくれたのはサブガイドだけ。予約の事で小競り合いのけんかまでしたようで、サブガイドくんご災難なり。しかしまあ、こんなんで山頂アタックできるんかいな?という事態になってしまった。ガイド本人がいればそんなにトラブルこともなかったのではないか?とも思える。だいたいガイドなしでも登れるよ。とはなから思っているので割と冷静。すでに他の登山者は横になっている。高度順応のため自分一人また外へ。小屋からすぐ、キボ峰の急斜面が目の前にそそり立っている。がれがれの砂礫の斜面。富士山八合目、てかんじだ。見上げた目測では3時間、といったところだが、看板では5時間かかるらしい。小屋の北側の沢から、登山道が延びているのが見える。しかし、なんで今から登れないのかね~と疑問。山頂でご来光なんてほんとにどーでもいいので今から登りたいわ。

 ここへ来て、軽いけど始終頭痛を感じるようになった。すこしでもしゃがむとがーんっとくるので不用意にトイレにいくのは危険だ。

山小屋に戻るとなんとかトラブルは収まり、ベッドも確保したし、アタック時点でガイド(サブだが)も同行することになったという話をきく。自分もちょっと寝ておこうと横になるが、頭を水平にすると頭痛がはげしい。まくらをするとましになった。もっとも高山ではひざかかえの姿勢で寝るのがベストだそうだが。ちょっとうたた寝したかな?というぐらいで夕食。とにかく寒い。夕食はスパゲッティ。油っぽいソースはさけて麺だけ食べておく。隣のグループも同じメニューで、ここはコック兼用かも。

 あとは寝袋にもぐりこむしかなかった。しかし頭痛、そして同じ小屋内でこの日の夕方に下山してきたグループがハイテンションに騒いでうるさい。しかもこちらがちょっと寝かけたときの一言がきいた。「雪がふってきたわー!すてきー!」(注:英語)ああ、目が覚めるような発言だ。

うわー、やめてくれ・・・とおもいながらも目をつぶっていたのは、これから登頂する誰しもだったろう・・・

トイレに行くのが億劫だったのでつい水分を取らずにいたら、脱水症状で目が覚める。やはり高地では勝手に水分が失われていくらしい。寝ていられず10時半ごろから準備開始。11時前にサブガイドが起こしに来た。

パスポートと貴重品は絶対持っていけ、とこれまでになく真剣に言うので有り金その他の貴重品は全部身につける。そして今までで最高の防寒対策のいでたち。下はゼロポイント下着、CWXタイツ、山用ズボン、レインコート下、厚手靴下。上は長袖ゼロポイント下着、モンベル薄手フリースに厚手フリース、ノースフェイスの山用ゴアジャケット、ブレスサーモの毛糸帽子、フリースのタートルマフラー。上はぱんぱんになってしまい、ユニクロのダウンとレインコート上はリュックに入れた。

紅茶とビスケットの夜食をとり、魔法瓶にお湯をもらってスポーツドリンクを溶かす。アタック用に買ったのはメダリストのシトリックアミノ500(高級品である)

時刻は26日の23時30分、さていよいよ山頂アタックである。

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2008年2月 2日 (土)

ホロンボハット~キボハット(4700m)まで(4日目)

4日目の今日はホロンボハット(3700m)からキボハット(4700m)まで行き、深夜から山頂アタック。

朝起きると、昨日はなんともなかったのに軽く頭痛がしていた。とうとう高山病の症状がでたのかもしれない。でも動き出すと消えた。8時頃出発。分岐は左のローワールートを取り、昨日下ったところをゆっくり登る。途中2回ほど沢を横切る。2本目の沢の上方を見ると、小さくゼブラロックがみえた。南方からすこし雲が湧いているが、雨の気配はない。ゆるいカーブをじぐざぐ登り、1時間ほどでサーキットルート、いわゆる御中道との分岐だ。サーキットルートはあまりふまれていない様子で、湿地の中に途切れがちに続いていた。この辺まで登ると大鞍部が見えてくる。道も広くなって石もなくなり歩きやすくなる。ゼブラロックへぬける小径の分岐を過ぎ、あとはほとんど平坦な道がつづく。小トトロの耳みたいな岩をすぎたら、ラストウォーターの看板のある沢についた。沢のむこうにベンチとトイレがある。ホロンボからだいたい1時間半。

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ラストウォーターの沢の上方、両側にピークが見え、それぞれウェストラヴァヒル、イーストラヴァヒルという。雲がきれてキボ峰の全貌が見えてきた。雪を頂いた灰色の山塊が、茶色いゆるやかな鞍部からいきなり突き出ている。あまりにでかいのと遠いのとで、今からあそこ登るのかと思うとなぜか笑えてくる。

ラストウォーターから道は大きな尾根に向かっていく。少し急な登りになるが、30分ほど。尾根上に看板があり、マウェンジリッジとあった。ここに立つと景色が一変する。今までは高山植物がまばらに生える岩石地帯を全体に上を見上げて緩やかにのぼっていたのが、ここから大鞍部の砂漠になる。見渡すかぎり赤茶色の砂漠で、植物は探さないと見つからないぐらいまばらだ。キク科のムギワラギクのようなものか、ハハコグサが地べたにはうように生えている。ガイドはどちらもエヴァラスティングフラワーとよんでいたが。右手上方には丸い丘がぽっこりひとつ、地図にはレッドミドルヒルとある。たしかに赤い丘だ。道はその麓の左手を、ゆるやかに登りながらキボの方向に伸びている。2車線道路ぐらいに広くなった道を歩いていく人々が小さく見えるが、これは目測5km先?ぐらいまで見通せているのだろうか。尾根を下ってさらに進む。本当になんにもない。

2007kilimanjaro_2_106 ゆーっくり45分ほど歩くと道は赤い丘を巻き込むように右に曲がり、曲がったところに看板とトイレが2つ現れた。「ザ サドル」とある。壮大なキボ峰のがれがれの斜面をバックに、ぽつんと看板、なぜか一定の距離をおいて向こうの方にぽつんぽつんとトイレ。この距離がびみょーで間抜けだ。

サドルから、道は赤い丘の西側を巻いて、鞍部の最上部にむかって北上していく。弓形にそった鞍部の稜線が美しい。そのライン上を何か動いている、とおもったら、下山してくる登山者だった。ずーっと見ていると、砂粒ほどの影がだんだんと人の形になっていく。道の西側(キボ峰側)にはまだ3つほど小山が並んでいて、トリプレッツと地図には書いてある。眺めてもピークは2つしかみえなかった。2007kilimanjaro_2_107 2007kilimanjaro_2_109

鞍部を登りつめると、そこもまた広大な砂漠。砂の色が少し灰色になった。道は西を向いて、キボ峰のきわまでまっすぐ伸びている。途中におおきな岩があり、休憩場所になっていた。ベンチにトイレも完備。ほんとに整備されているなあ。サドルからここまで45分ほど。気がつかない程度だが、全体にゆるやかに登っているので結構かかった。時計を見ると11時半だった。ここでお昼にする。見上げると山際の岩の上に、もうキボハットの屋根が見えている。

しかしすでに標高4500mあたり、キボハットまでは1,2km、しかも見えているのにたどり着かない。だらだらと歩いて1時間後、やっとキボハットに到着。日が照ってきてひりひりするが、風がきついし気温も低い。時計を見ると1320分だった。正味4時間40分で到着。2007kilimanjaro_2_114

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2008年1月31日 (木)